ボーイングB29というアメリカ軍が開発した長距離爆撃機。1944年6月北九州での空襲が初出陣であった。本土空襲の主役となり、広島、長崎に原爆を投下した。長距離飛行できること、爆弾をおおく積めたこと、対空砲火をうけない高度から爆撃できることなどから「スーパーフォートレス」(超空の要塞)という愛称がつけられた。飛行距離は5150Kmと計算されていた。最初の北九州の空襲には、2500Kmはなれた中国の成都からとんできている。爆弾は7200kg搭載できた。最初は軍需工場を中心に、500ポンド(通称250キロ爆弾)の爆弾で攻撃していたが、レーダーがよくなかったので、目標地点に正確におちるのはすくなかった。そのぶん一般住宅の被害がふえた。焼夷弾による絨毯爆撃をはじめてからは、その威力をました。日本全土を攻撃するにはあらたな基地が必要であった。1944年、サイパンの日本守備隊を全滅させた米軍は、大急ぎでここに飛行場を建設、月に100機の割合でB29を配置した。日本攻撃の拠点とし連日発進した。敗戦時には1000機いたという。青森市には7月28日、62機が飛行してきたが、これは米軍が、第三の基地としてかんがえていた硫黄島から発進してきたもので、攻撃後テニアン島にかえっている。