空襲から、人々や家財などをまもるために地面に穴をほってつくられた壕。九州での空襲があって、防空本部から各家庭でつくるように指導された。 官庁や会社では、公共用としておおきく立派な壕をつくったが、個人のところでは、庭に家庭用として、庭のない人はちかくの空地に隣組用としてつくった。横穴式がよいということであったが、青森は平地なので、ほとんどが、穴をほり、そのうえに丸太や板をかさね、さらに土でおおう簡単なものとなった。しかも1mも掘ると水がわいてきたので、やぐらをくんで土をかぶせるというのがおおかった。空襲にあったとき、この防空壕はほとんど役にたたなかった。むしろここにはいったため、逃げおくれて死んだという人がおおかった。青森の戦災死者の八割は、防空壕で亡くなっている。公共用の立派なのはべつとして、家庭用、隣組用の防空壕がもっとも危険なことは、東京や大阪など都市の空襲で報告されていたのであるが、地方ではいぜんとして、空襲になったら、防空壕に避難するよう指導されていた。防空壕が満員で、はいれなかったため助かったという人や、はやめに防空壕からにげたので助かったという人もおおい。青森県はそののち、「防空壕は危険である」と報告した。