木造住宅のおおい日本で、大量に投下された油脂を六角の筒にいれたナパーム弾。いっぱんに、空襲につかわれたのは、油脂焼夷弾(M169)と膠化ガソリン焼夷弾(M-47)であったが、青森市におとされたのは、あらたに開発された黄燐焼夷弾(M-74)であった。これまでの油脂焼夷弾の頭部に黄燐の容器をいれたもので、「有毒ガスを発生させ、窒息と殺傷をしょうじさせる」ことがねらいで、頭部をおもくすることで、屋根をつらぬいて炎上するよう設計されていた。38個をたばねた収束焼夷弾は、投下されると帯がとかれ、ばらばらに空中にほうりだされ、どうじに揺れをふせぐ麻布のリボンに火がつき、火の雨がふるようにみえた。青森市には8300発余、15坪に1発の割合でおとされた。この黄燐焼夷弾は、それまでもすこしはつかわれていたが、本格的に使用したのは、同じ日に空襲された、津市と青森市のふたつの都市であった。戦後いちはやく青森市に調査にきた戦略爆撃調査団は「最近開発されたM-74は青森市のような可燃性の攻撃目標には、有効な兵器である」と報告している。つまり青森市は、新型焼夷弾の実験場でもあった。